特別講演「治療的自己における“身”の意義」 

中井 吉英

関西医科大学名誉教授 

洛西ニュータウン病院名誉院長・心療内科部長

 演者が九州大学医学部心療内科(当時、池見酉次郎教授)に入局した際に、心療内科研修の一環として一年間、精神分析による自己分析と自律訓練法のマスターを義務づけられた。また、受持ちの入院患者について、二人のスーパーバイザーによる「転移」をテーマにしたセミナーが毎週開催された。医師という治療者自身の精神力動について直面することになるから、玉ねぎの皮を剥くにつれ目に染みる痛みが増加していくようであった。しかし、一年も経つと、むしろ治療者自身の内面と同時に、医師と患者の関係を客観的に観察できるようになった。この時の経験は現在も続いている。

 40代に入り、精神分析的な視点では治療者・患者関係の理解と治療に限界を感じ始めた。精神分析は主として患者が誕生し成人するまでの問題に焦点を当てる。臨床経験の中で、演者を含め個々人は誕生した時にそれぞれの必然的な課題を抱えてこの世に生を受けるということに気づいた。ユングの分析的心理学も学び、トランスパーソナルサイコロジーも勉強したが、心と身体の関係性に軸を置いて治療を行う心療内科の臨床医として釈然としないものがあった。むしろ心より身体が先に来ることが重要ではないか。仏教とくに栄西禅師の身心一如の考えに注目した。

 このような時にまた、患者の治療に最も重要な影響を及ぼしているのは治療関係ではないかということに思い至った。心理学者ワトキンス博士の「治療的自己(Therapeutic self)」という概念に出会ったのはこの頃である。

 日本心療内科学会からワトキンス博士の著作の翻訳が最近出版された。彼はこれまでの心理療法の長所と短所を分かりやすく説明しながら、治療的自己で最も必要なものは「共鳴」と適切な「客観性」のバランスのとれた能力であるという。彼は「第6部第3章」で「相手を自分自身の一部のように感じ取れると、相手に負わせる苦痛は自分自身の痛みとして感じられるようになる」と述べている。大変内容の深い好著であるが、読み終えてもの足らないのは何故か。

 われわれ心療内科医は身体疾患を心身両面から扱う治療者である。ワトキンス博士は心理療法家であり、そこに自ずと差異と限界があったのではないか。このような時に“身”という言葉と考えに出会い、“身”という概念を臨床に生かすにはどのようにすべきかについて考えるようになった。筆者自身の“身”とはいったい何なのか、治療的自己の中でどのように位置すべきなのか、どのような方法で修得できるのかについて、演者の臨床経験を中心に述べることにする。

 
【略歴】 1942年生京都市生れ。1969年関西医科大学卒業、同大学大学院医学研究科入学(内科学専攻)。1972年九州大学医学部心療内科入局、助手、講師を経て、1986年関西医科大学第1内科講師、助教授。1993年関西医科大学第1内科学講座教授。2000年関西医科大学心療内科学講座初代教授。2009年関西医科大学定年退職。同年より関西医科大学名誉教授、洛西ニュータウン病院名誉院長・心療内科部長。関西大学客員教授、日本心療内科学会理事長、日本心身医学会前理事長、進歩科学者日本会議(JCSD)会長ほか。専門分野は心身医学、消化器病学、疼痛学、医療行動科学。